ブラックミュージック界の巨星ディアンジェロの早すぎる死に近田春夫と適菜収はなにを感じたのか!?【近田春夫×適菜収】
【近田春夫×適菜収】連載「言葉とハサミは使いよう」第10回
「ネオソウルの旗手」と呼ばれるディアンジェロが死去。享年51。2000年のアルバム『ヴードゥー』でグラミー賞の「最優秀R&Bアルバム」を受賞するなど、生涯でグラミー賞4部門に輝いた。20世紀末の時点で、音楽はいずれタダになると予言していた音楽家近田春夫氏と、近代大衆社会の末期症状を描き出した『日本崩壊 百の兆候』(KKベストセラーズ)が絶賛発売中の作家適菜氏による異色LINE対談。連載「言葉とハサミは使いよう」第10回。

D’Angelo(Kmel All-star Summer Jam 2000 – 06 Feb 2004)写真:REX/アフロ
■スライ、プリンス、JBの継承者
適菜:ディアンジェロ、死んじゃいましたね。これからのファンクをつくる人だったのに残念です。
近田:51歳だってね。結構ショックだったよ。ホントこれからって思ってたから。死因は膵臓がんかあ。
適菜:酒の飲みすぎもあったと思います。私の友人も膵臓がんで死にましたが、膵臓がんは治りにくいようです。
近田:見つかった時は手遅れっていうケースが多いよね。
適菜:特に膵臓がんは自覚症状がないので、手遅れになりやすいそうです。
近田:最初は腰痛がひどくて、整体に行ったり、それでもよくならなくて検査したら、膵臓癌だったっていうパターン。
適菜:彼はほぼ私と同じ歳です。『ブラック・メサイア』を聴いたときは、ああスライやプリンス、JBの継承者だなと思いました。一度は生で見たかったです。
近田:俺はディアンジェロっていうと、音の密度の心地よさってことをまず思い出すかなぁ……。
適菜:2015年にサマーソニックに来ているし、その後、Zepp Tokyoでも演っている。2016年3月には神奈川と大阪。私はうっかりしていて行きそびれてしまいましたが。
近田:来日は知らなかったぁ。
適菜:私のFacebookの過去の投稿の検索をしたら出てきました。他にもこんなのもありました。2019年の投稿です。「iPhoneにD’ANGELO、来日と入れたら、7月26日と27日のZepp Tokyo というのが出てきて、ベッドから飛び起きて、パソコンで急いでチケット取ろうとしたら、ANGELOというなんだかよくわからない日本のヴィジュアル系バンドだった。まぎらわしいわ」
近田:受ける〜!
適菜:プリンスも若くして死んでしまいましたが、たくさん音楽を残してくれた。ディアンジェロは寡作すぎました。『ブードゥー』から『ブラック・メサイア』が出るまでに14年かかっている。
近田:そうなんだよね。
適菜:クオリティの高さも含めて、珍しい人でしたね。『ブラック・メサイア』は2014年。つい最近かと思っていましたが、10年以上前です。時間が経つのはあっという間です。
近田:ホント早い! 適菜さんがディアンジェロに注目したのはいつ?
適菜:『ブラウン・シュガー』の頃は、ほとんど興味なくて。いわゆるブラックコンテンポラリーみたいなものはほとんど聴かなかったのですが、少し大人になってからディアンジェロは別格だなと気づきました。『ブラウン・シュガー』は1995年か。
近田:もう30年!
適菜:アルバムは3枚しか残していませんが、『ライヴ・アット・ザ・ジャズ・カフェ・ロンドン』というライブ盤があって、オハイオプレイヤーズの曲とかを演ったり、ブラックミュージック愛にあふれていて、あれもすごくいいですね。